2020年1月4日土曜日

1976年ころ大崩山小積ダキ

 宮崎県の山は300メートルクラスの岩壁を持つ山もあり魅力的だ。 先の行縢山雌岳西壁登攀の3年ほど前だったと思う、大崩山の小積ダキを登攀した。22歳のころである。

 幼稚園、小学校、中学校と幼なじみの窪田雄三君ことクンボウと行った時の思い出である。 クンボウとは中学3年で同じクラスになるまで付き合いはなかった。中学3年の時、登山へ誘った。それ以来の岳友である。 クンボウは中学を出ると商船学校へ行った。卒業後は外航の船乗りさんで一年のうち、数ヶ月を休暇で陸で過ごしていた。
クンボウも私の影響でバイクに乗り、ヤマハのAT125という125ccのオフロードバイクに乗っていた。私はカワサキのTR125に乗っていて、林道をとばしていた。

 8月だったと思う。大崩山の小積ダキを攀りに行こうと、二人してバイクで宮崎へ向かった。二台のオフロードバイクが短調なR10を南下する。延岡市から内陸部へと入る。
山間部に入り林道のオフロード走行を楽しみ、大崩山の麓に着く。 青空の下で綺麗な水の流れる河原で野宿をし、翌日小積ダキへ取り付く。 

私は14歳のころから兄の影響でロッククライミングをしていた。その面白さに夢中になり、友人を誘って近郊のゲレンデに通い、高校生の時には穂高岳の屏風岩や滝谷なども登って、一端のクライマー気取りだった。 クライミングの腕には自信があり、ゲレンデでは地元山岳会の大人にも負けないと思っていた。

そんな自惚れの強い私が、私よりもロッククライミングが上手い、と認めていたのが大本卓君とクンボウだった。大本君は中学2年生の時、別府市の北部中学で同じクラスになった。ウマがあって何時も一緒に遊んでいた。中学2年生の夏休み、兄に連れられて久住山へ行った。瀬の本からスガモリ越えで坊がツルへ入り馬酔木小屋で一泊、翌日は北千里から久住山登頂。久住別れまで降り星生山の岩壁の上で昼食をとり牧の戸峠へ。 その素晴らしい経験は僕を一発で山の虜にした。

僕はその感動を大本に伝えた。秋の大運動会の日、僕と大本は運動会をサボって九重へヒッチハイクの旅に出かけた。13歳の秋である。
その頃から、大本、江藤で呼び合っていた。この後もブログで彼が登場するときは大本と呼び捨てにする。 
大本は技術やバランスは私より上だが、体力が弱かった。その分私が若干有利だったが、クンボウはバランスが良い上に体力もあったから敵わなかった。強いて言えば私の方が登山の知識と経験が豊富だった。 

小積ダキの中央フェースは下部は殆どアブミのかけかえのやさしい人工登攀、上部がフリーと人工を交えた4級のルートだ。 僕とクンボウにとっては、おちゃのこさいさいのルートである。
登攀は順調に進み早い時間に下山した。僕らは河原へ置いたバイクまで帰ると、さっそうとバイクに跨り帰路へついた。二台のオフロードバイクが白煙を吐きながら林道を下っていった。

青空と岩峰と渓谷、オフロードバイクと僕の青春を絵に描いた様な二日間だった。

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