宮崎県の山は300メートルクラスの岩壁を持つ山もあり魅力的だ。
先の行縢山雌岳西壁登攀の3年ほど前だったと思う、大崩山の小積ダキを登攀した。22歳のころである。
幼稚園、小学校、中学校と幼なじみの窪田雄三君ことクンボウと行った時の思い出である。
クンボウとは中学3年で同じクラスになるまで付き合いはなかった。中学3年の時、登山へ誘った。それ以来の岳友である。
クンボウは中学を出ると商船学校へ行った。卒業後は外航の船乗りさんで一年のうち、数ヶ月を休暇で陸で過ごしていた。
クンボウも私の影響でバイクに乗り、ヤマハのAT125という125ccのオフロードバイクに乗っていた。私はカワサキのTR125に乗っていて、林道をとばしていた。
8月だったと思う。大崩山の小積ダキを攀りに行こうと、二人してバイクで宮崎へ向かった。二台のオフロードバイクが短調なR10を南下する。延岡市から内陸部へと入る。
山間部に入り林道のオフロード走行を楽しみ、大崩山の麓に着く。
青空の下で綺麗な水の流れる河原で野宿をし、翌日小積ダキへ取り付く。
私は14歳のころから兄の影響でロッククライミングをしていた。その面白さに夢中になり、友人を誘って近郊のゲレンデに通い、高校生の時には穂高岳の屏風岩や滝谷なども登って、一端のクライマー気取りだった。
クライミングの腕には自信があり、ゲレンデでは地元山岳会の大人にも負けないと思っていた。
そんな自惚れの強い私が、私よりもロッククライミングが上手い、と認めていたのが大本卓君とクンボウだった。大本君は中学2年生の時、別府市の北部中学で同じクラスになった。ウマがあって何時も一緒に遊んでいた。中学2年生の夏休み、兄に連れられて久住山へ行った。瀬の本からスガモリ越えで坊がツルへ入り馬酔木小屋で一泊、翌日は北千里から久住山登頂。久住別れまで降り星生山の岩壁の上で昼食をとり牧の戸峠へ。
その素晴らしい経験は僕を一発で山の虜にした。
僕はその感動を大本に伝えた。秋の大運動会の日、僕と大本は運動会をサボって九重へヒッチハイクの旅に出かけた。13歳の秋である。
その頃から、大本、江藤で呼び合っていた。この後もブログで彼が登場するときは大本と呼び捨てにする。
大本は技術やバランスは私より上だが、体力が弱かった。その分私が若干有利だったが、クンボウはバランスが良い上に体力もあったから敵わなかった。強いて言えば私の方が登山の知識と経験が豊富だった。
小積ダキの中央フェースは下部は殆どアブミのかけかえのやさしい人工登攀、上部がフリーと人工を交えた4級のルートだ。
僕とクンボウにとっては、おちゃのこさいさいのルートである。
登攀は順調に進み早い時間に下山した。僕らは河原へ置いたバイクまで帰ると、さっそうとバイクに跨り帰路へついた。二台のオフロードバイクが白煙を吐きながら林道を下っていった。
青空と岩峰と渓谷、オフロードバイクと僕の青春を絵に描いた様な二日間だった。
2020年1月4日土曜日
1980年ころ、行縢山雌岳西壁
ブログの『山のかなたに』に由布岳大ガレ雪崩遭難の記事しか無かった。
何か書こうと思った。
和田ガラミで行縢山雌岳西壁の登攀を思い出した。
1979年、10月だったか、11月だったか、覚えてない。もしかしたら、1980年春の事だったかもしれない。充と行縢山雌岳西壁を登りに行こうと仕事が終わった深夜12時頃に大分市の勤務先、珈琲コヤマを出発した。二人とも車を持っていないので私のバイクで二人乗りしてお隣の宮崎県延岡市の行縢山へ向かった。
バイクはヤマハXT500、単気筒500ccのオフロードバイクだ。
今とは違って高速道路も無いし、バイパスなんども無い、片側1車線の国道10号線を南下する。
オフロードバイクというのは基本的に二人乗りを考えていない。前後の荷重も後輪寄りでフロントタイヤが軽く浮き上がる様な設計である。そこに、後ろに大の男をのせ、さらに二人のリュックサック。このリュックにはテント、シュラフ、食料にタップリの登攀用具が詰め込まれている。それでなくても軽いフロントが益々軽くなってハンドリングが落ち着かない。タンクぎりぎりまで身体を前にやってハンドルを押さえながらでないと登りのコーナーでフロントがアウトへ流れてしまう。
宗太郎峠など幾つかの峠を越すこのルートではかなり力を入れなければならない。
延岡市へ着いて、海岸沿いの国道10号線から内陸部へ向かう。行縢山は海岸線からそう遠くはない。行縢山の麓、行縢神社へ着いたのは3時を回っていただろうか。
駐車場にテントを張ってシュラフへ潜り込み日本酒の四合瓶を取り出す。二人で4合はあっというまだ。疲れと寝酒が効いて直ぐに眠り込んだ。
目が覚めたのは7時過ぎだった。パンをかじって直ぐに出発。西壁の取り付きへも30分とかからない。
行縢山雌岳西壁は300メートルの岩壁だ。傾斜の緩い下部岩壁と真ん中を横切る大きなバンドで垂直にそそり立つ上部岩壁とに分かれている。
下部岩壁はブッシュも多くオーバーハングが続く割にはスッキリとしないルートで、登り出しても緊張感が湧いてこない。
しかも充がワンピッチ登るごとに茂みへ駆け込んで行く。下痢をしているのだ。聞くと寝る前に日本酒を二人で開けた後、こっそりと隠し持ってきた焼酎の4合瓶を開けたというのだ。二日酔いというより、まだ酔っている状態である。
そんな訳でワンピッチ登るごとに長い待ち時間で下部岩壁を登り終えてのは正午を回っていた。
上部岩壁を隔てる大きなバンドをたどれば一般ルートの登山道に出る。充はもうこの登攀は止めよう、帰ろうと言い出した。僕は何言ってんだい、後200メートルも無い、登るど、と上部岩壁に向かった。充は渋々ついてきて僕の確保にあたった。
上部岩壁はそれまでとは打って変わってブッシュ一つない垂直の岩壁だ。ガチガチの花崗岩にハーケンとボルトが連打されている。その間隔はめちゃくちゃ遠くアブミの一段目に乗って垂直の壁から身体が剥がされないように全身の筋肉に力を入れて立ち上がりやっと上のピンへ手がとどく。そんなアブミの架け替えを繰り返して30メートル程登ると右にラインが変わる。この右への移動がまた難しい。
僕は疲れた身体を休ませようとテープアブミに身体をあずけて一息ついた。
その時だった、テープアブミの結び目がジワッ、ジワッと緩んできたのだ。
このテープアブミは僕の手作りでダグ・スコットの本で紹介されていた方法で作ったものだ。もう何年も使っていてヨーロッパでも使った。
僕は一瞬真っ青になった。1秒とかからずテープはスルリと解け僕はそのまま真っすぐに落下した。
僕はこの様な人工登攀のルートではスカイフックという小道具をいつも携帯していた。スカイフックはクロムモンデリでできた4センチ程のフックで先が鍵状になっていて岩の小さな窪みなどに引っ掛けて手が掛かりの補助や時にはアブミを掛けてぶら下がり、登攀の補助に使う。
僕はこのスカイフックに小さなループのシュリンゲを通して手首にぶら下げていた。
垂直に落下した瞬間、とっさにそのスカイフックをハーケンに引っ掛けていた。
片腕にガクンとショックがかかり、伸びきった右腕にぶら下がっていた。
充が「どうした?」と声を掛けてきた。30メートル真下からはなにがあったのか分からないようだ。ここでいらん事を話すと、また帰ろうと言い出すと思い「なんでもない」と答えてアブミを掛け直し登攀を開始した。
このピッチでかなりの時間をついやした。30分以上かかったのではなかろうか。充が登って来るのにまた時間がかかり、太陽が西へ傾いきはじめたのを感じる。
この雌岳の真向かいに雄岳があり共に300メートルの絶壁だ。二つの絶壁に挟まれた雌岳西壁は狭い谷の中にある。2ピッチ、3ピッチと登るうちに太陽は傾き、岩壁にさえぎられ、まだ3時だというのに薄っすらと暗くなった。
この西壁の上部岩壁ルートは垂直の壁に所々に1メートルから1.5メートルの庇状のオーバーハングがある。それがナメクジの形に似てるのでナメクジハングと呼んでいるが、わざわざそのナメクジハングを選って庇ハングでアクロバチックな登攀を強いるようにルートが作られている。
そんなナメクジハングを3つか4つ越さなければならない。庇ハングは庇からの出口が難しく、そうとうの体力をしいられる。
そして時間も。気がつくと太陽はすっかり沈んで薄闇から暗闇の世界になっていた。
僕はヘッドランプと取り出してヘルメットに装着し暗闇の中を残置ボルトを頼りに登り続ける。
確保地点に到着すると自己確保をとり、下の充にオーケーと声をかける。
充はヘッドランプをヘルメットに着けるのに手間取っているようで40メートル真下の暗闇にヘッドライトの灯りがチラチラ動いている。と、その灯りが暗闇の中へスーと吸い込まれていった。
やった、バカが。と罵りたくなる。
充が大声で「ライトを落とした。真っ暗でのぼれん。お前のライトを降ろしてくれ。」と叫ぶ。
此処で僕のライトを貸して、また落とされでもしたら大事だ。この後登れなくなると「だめだ!トップロープを頼りに登って来い。」と叫び返す。
充は指示に従いメクラ登攀でトップロープを引っ張りながら登ってきた。最後のピッチを登り終え雌岳の頂上へ着いたのは7時ころだった。
僕らは一般道を駆けるようにして降った。途中木の根っこに足を引っ掛け前のめりにバタンと転倒した。充が嬉しそうに、「大丈夫か」と言う。なにをこんやた!と思いながら立ち上がると充はえらく元気そうだ。やっと酒が抜けたんだな、もう遅いわ、と毒づく。
下山しテントえお撤収、バイクに跨りいざ帰路へ。しかし大分市まで3時間強、疲れ果てた身体で自信が無い。延岡駅まで行って汽車で帰る事にした。駅に着いたのは9時前で日豊線の登り列車にギリギリ間に合った。
後日、延岡駅に置いてきたバイクを取りにいく。安東圭三君が愛車のコロナマークⅡで付き合ってくれた。これまた仕事が終わってからの夜業である。帰り道、暗い10号線を伴走してくれるのは、実に有難い。大分市へ帰り着いたのは深夜を回っていた。
最後に小さなオチがある。県庁前の信号で止まったとき、圭三君が脇見運転で気づかず、僕のXT500へドン!と追突した。スピードもゆっくりだったのでバイクも僕も被害は無い。OKと合図して我が家へ向かった。
25歳、元気だった。
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